清原和博氏の長男・清原正吾さん。
2021年現在、慶應義塾大学の野球部で内野手を務めており、今後の活躍に注目が集まっています。
今回は、そんな清原正吾さんについて、以下のことをまとめてみました。
- 清原正吾選手の学歴(出身小学校・中学・高校)
- 清原正吾選手の経歴(学生時代の野球歴など)
清原正吾選手の出身小学校について
出身小学校の詳細
清原正吾選手の出身小学校は『慶應義塾幼稚舎』の可能性が高いです。
その理由としては、報道で以下の情報が出ていたからです。
- 創立100年を超える名門私立小学校
- 大学までエスカレーター式
- ニューヨークに系列校がある
創立100年を超える名門私立小学校
2011年11月、清原和博氏の次男についての報道がありました、
その内容は、
次男が長男に続き、創立100年を超える名門私立小学校に合格した
というもの。
元プロ野球選手・清原和博氏(44)の次男(6)が、長男(9)に続き創立100年を超える名門中の名門私立小学校に合格した。
出典元:NEWSポストセブン
この情報から、清原正吾選手は、誰もが知る名門小学校に通っていたことが分かります。
大学までエスカレーター式
2014年10月には、清原和博氏と元妻・亜希さんの離婚が報じられました。
その報道内容の中には、
長男・次男は、大学までエスカレーター式の私立小学校に通う
という一文が記載されていました。
シングルマザーとなった彼女が真っ先に不安に感じたのは、大学までエスカレーター式の超有名私立小学校に通う長男(12才)と次男(9才)の教育費を、今後どう捻出していくかということだった。
出典元:zakzak
詳細は後述しますが、清原正吾選手の中学は『慶應義塾普通部』です。
慶應義塾といえば、エスカレーター式の一貫教育校。
なので、この時点で『慶應義塾幼稚舎』である可能性が高くなります。
ニューヨークに系列校がある
2016年3月には、清原和博氏の逮捕の件に関する報道がありました。
その内容の中には、清原正吾選手のことも記載されており、
息子をニューヨークにある系列校に入学させ移住することを計画
という一文がありました。
その亜希が、超名門校に通う息子2人を米ニューヨークにある同校の系列校に入学させ移住することを計画していると、「週刊女性」(光文社/3月15日号)が報じている。
出典元:ビジネスジャーナル
実際、慶應義塾には『慶應義塾ニューヨーク学院』という系列校があります。
これらの情報全て踏まえた上で考えると、出身小学校は『慶應義塾幼稚舎』の可能性が高いといえるでしょう。
小学生時代は野球をプレーしていた
小学生時代の清原正吾選手は、少年野球をしていました。
野球を始めたのは、小学生3年の時。
東京港区の少年野球チーム『オール麻布』に入り、二塁手としてプレー。
小学6年までの4年間、野球を続けたといいます。
ちなみに、オール麻布の中では主力としてチームを引っ張る存在だったんだとか!
少年野球チーム「オール麻布」では小学6年まで一緒にプレーし、清原が二塁手、福住が遊撃手として二遊間でコンビを組み、主力としてチームを引っ張った。
出典元:毎日新聞

清原正吾選手の出身中学について
出身中学は『慶應義塾普通部』です。
慶應義塾は一貫教育校のため、エスカレーター式で進学したと思われます。
中学時代は野球をやらなかった
小学生の頃は野球を4年間やっていた清原正吾選手。
普通なら、中学時代も野球を続けると誰もが思うはず。
しかし、中学では野球をしませんでした。
そして、その代わりにバレーボール部に所属したというから驚きです。
なぜ、野球を辞めてしまったのか。
その理由としては、
- 「勉強が難しく、外で野球ができなかった」
- 「友達からの紹介で始めた」
とのこと。
小学3年時にオール麻布で野球を始め、6年までプレー。慶應普通部(中学)に進学後は「勉強が難しく、外で野球ができない。友だちの紹介もあった」との理由からバレーボール部に在籍した。
出典元:週刊ベースボールONLINE
小学校の勉強は余裕だったのに、中学ではついていけなくなった…。
そんな経験をしている人は多いはず。
清原正吾選手の場合は、超有名校である『慶應義塾』です。
となると、勉強はかなり大変なはずです。
そんな中、部活の中でも練習量がかなり多い野球をする時間は、中々なかったのかもしれません。
だからこそ、部活は野球ではなく、他のスポーツを選んだのでしょう。
清原正吾選手の出身高校について
出身高校は『慶應義塾高校』です。
こちらも中学と同様、エスカレーター式で進学したと考えられます。
高校時代の部活は『アメフト部』
高校時代は、アメリカンフットボール部の選手として活動していました。
アメフト部でのポジション・背番号は、次の通り。
- ポジション:タイトエンド(TE)
- 背番号87
タイトエンド(TE)とは?
つまり、攻撃だけでなく、パスやブロックなどもするオールラウンダーで活躍するポジションということ。
なので、清原正吾選手は、アメフト部では重要なポジションにいたということです。
実際、当時アメフト部にいた清原正吾選手を見ている方の感想がツイッター上にありました。
えwwwww慶応のあいつ清原の長男だったのwwwwめっちゃアメフトうまかったぞwwwwwww
出典元:ツイッター
「清原の長男、めっちゃアメフトうまかった」
清原の長男、知り合って6年目だけどどの球技でも球感が凄いわ、ほんとになんでも出来る。
中学は別の部活だったけど高校同じアメフトになってほんとに実感した。このままドラフトかかったら感激だよ
出典元:ツイッター
「清原の長男、どの球技でも球感が凄い」
これらの感想内容から、清原正吾選手は高校時代のアメフト部でも実力があったと思われます。

高校3年に野球への挑戦を決断
野球への再挑戦を決めたのは、高校3年の時だといいます。
始めたきっかけは、コロナ。
自粛ムードが高まり、アメフト部の活動が停止。
そのため、持て余した時間を使うため、弟さん、父・清原和博氏と一緒に野球の練習をしたんだとか。
そして、野球の練習を久々にやってみて、
「やっぱり野球が好きなんだな」
と実感し、大学では野球をする決断をしたといいます。
高校3年生のアメリカンフットボール部員だった清原は、この期間に「弟(勝児さん)とオヤジ、家族で練習したんです。僕自身、野球が好きなんだな、と。大学ではやろうかな、と思いました」と、決意を固めた。
出典元:週刊ベースボールONLINE

清原正吾の学歴(出身高校・中学)・経歴まとめ
今回は、清原正吾の学歴(出身小学・中学・高校)・経歴についてまとめてみました。
以下、今回の簡単なまとめになります。
- 出身校は、小・中・高が一貫校の慶應義塾。
- 野球歴は、小学3年~6年までの4年間のみ。
- 中学時代の部活はバレーボール。
- 高校時代はアメフト部に入っており、活躍していた。
- 今のご時世でアメフト部が活動停止になり、父と野球練習をしたことがきっかけで、野球に挑戦する決断をする。
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