パラアーチェリー・W1(車いす)女子の岡崎愛子さんについてご紹介していきます。
今回は、
- 岡崎愛子さんのこれまでの生い立ち・経歴や学歴
- なぜ障害を抱えることになってしまったのか
などについてまとめてみました。
岡崎愛子さんのwiki風プロフィール
名前 | 岡崎愛子(おかざき あいこ) |
生年月日 | 1986年1月10日 |
年齢 | 35歳(2021年7月時点) |
出身地 | 大阪府池田市 |
所属 | ベリサーブ |
好きなアーティスト | Superfly |
岡崎愛子さんの障害や事故について
岡崎愛子さんの障害は、頸髄(けいずい)損傷です。
この障害は、JR福知山線脱線事故に巻き込まれてしまったことで抱えることになりました。
JR福知山線脱線事故とは
この事故で、100名以上の方が亡くなり、500名以上の方が負傷した。
この障害により、以下の症状が出ているそうです。
- 首から下にまひが残り、自力で歩けなくなった
- 握力がゼロになった
- 体温調節がうまくできない
どの症状もかなり辛いもの…。
そのなかでも体温調節に関しては、以下の支障が出るといいます。
- 夏場は暑さにより、めまいを起こす
- 冬場は震えるほど寒い

リハビリで身体の状態が良くなっている
ただ、岡崎愛子さんの身体の状態は良くなっているようです。
その理由は、何年も続けているリハビリ。
岡崎愛子さんは、トレーニングマシンを使った全身の筋力トレーニングを2007年から行っており、週1のペースで通っているとのこと。
このリハビリにより、事故直後よりも指が動くようになってきているんだとか!

岡崎愛子さんの出身高校・大学(学歴)
出身高校・大学について、順番に紹介していきます。
岡崎愛子さんの出身高校
出身高校は『同志社女子高校』です。
なぜ分かったのかというと、同志社同窓会サイトに卒業生として講演に呼ばれていたからです。
講 演 岡崎 愛子さん(女子中高卒業生)
出典元:同志社同窓会サイト
同志社女子高校の偏差値は64。
出身者の中には夏目三久アナウンサーもいるので、岡崎愛子さんは学生時代から頭が良かったのかもしれません!
岡崎愛子さんの出身大学
出身大学は『同志社大学 商学部』です。
この情報は、同志社大学の公式サイトに記載されていました。
2004年、同志社大学商学部入学。
出典元:同志社大学 公式サイト
同志社大学は、関西の私立大学の中でも人気であり、同志社高校からエスカレーター式で進学できる大学とのこと。
そのため、岡崎愛子さんはエスカレーター式で同志社大学に進学したと思われます。
ちなみに、商学部の偏差値は62.5と高めでした。
岡崎愛子さんの生い立ち・経歴
岡崎愛子さんの経歴について、紹介していきます。
岡崎愛子さんの学生時代
岡崎愛子さんは子供の頃から体を動かすことがとても大好きでした。
そのため学生時代は、以下のスポーツをやっていました。
- 小学生時代:テニス
- 中学時代:ソフトボール
高校時代になると、ドッグスポーツにはまります。
そのため、愛犬と一緒にフリスビーで遊びまくっていたんだとか!
その結果、フリスビードッグの地区大会で優勝するほど実力を付けていたというから驚きです。
フリスビードッグには上級のクラスから中級、ビギナーなど、いろいろなクラスがあり、全国各地で毎週のように大会が行われていいます。私は、ある地区大会で優勝したこともありましたし、大会に出ること自体も楽しかったです。
出典元:TOKYO障スポ・ナビ
そして、その延長線上でドッグトレーナーの夢を抱き、ドッグトレーナーの勉強をするようになったのです。
JR福知山線脱線事故に遭遇
2005年4月25、同志社大学2年生だった岡崎愛子さんは、通学のために福知山線の電車に乗っていました、
しかし、『JR福知山線脱線事故』が発生、事故に巻き込まれてしまいます。
奇跡的に命は助かりましたが、頸髄(けいずい)を損傷。
首から下にまひが残るという障害を負い、約1年の入院生活を送ることになりました。
ソニーへの入社
退院後は、車イスで同志社大学に復学します。
その後、2008年に大学を卒業し、就職活動を始めます。
ただ、障害持ちということもあり、普通の会社に応募しても断られる確率の方が高い現状。
そのため、障がい者を雇用してくれる会社を中心に応募することに。
その結果、
「配慮はするが、特別扱いはしない」
という社風を持つ『ソニー株式会社』に運良く採用されることに!
そして2008年、ソニーへ入社しました。

アーチェリーとの出会い
岡崎愛子さんがアーチェリーと出会ったのは、2013年の冬。
元々、動くことが大好きだった岡崎愛子さん。
車いす生活になっても、
「体を動かしたい!」
という気持ちがありました。
そのため、昔から続けていたフリスビードッグを最初はやろうとしたんだとか。
しかし、車イスとなった状態ではフリスビーを上手く投げることができず、諦めてしまったんです。
そんな中、岡崎愛子さんのお母様は大学時代にアーチェリー部にいたらしく、
と言われたことがきっかけとなり、アーチェリーを始めました。
岡崎愛子さん一人でアーチェリーはできなかった
しかし、ここで一つの問題が発生。
それは、岡崎愛子さん一人ではアーチェリーはできないということ。
アーチェリーをするには、以下の作業が必要でした。
- 矢をつがえる
- 的に当たった矢を引き抜く
しかし、車いすに乗った岡崎愛子さんが一人でできる作業ではなかったのです。
ただ、故郷にいるご両親が上京してくれた時は、アーチェリーの練習を手伝ってもらうことができたんだとか。
それでも、頻繁に上京できるわけでもなかったため、アーチェリーの練習は、数ヶ月に1回という頻度。
そのため、アーチェリーをしたくてもできない日々を長く続けていたんです。

ソニーを退社
2014年2月、岡崎愛子さんはソニーを退社してしまいます。
なぜ退社したのかというと、
「犬に関わる仕事がしたい」
という想いが残っていたからといいます。
愛犬によって事故後の心を救われた
岡崎愛子さんの家では2頭の犬を飼っていました。
事故後、障害持ちになってしまい精神的に辛かった岡崎愛子さん。
しかし、愛犬達の存在によって少しずつ癒されていき、最終的に心を救われたんだとか。
そのため、岡崎愛子さんは
「私を救ってくれた犬たちのためにも何か恩返しをしたい」
と考え、家族に悲しまれながらもソニーを退社する決断をしたのです。
色々な経験もでき、安定した仕事のあるソニーを退社してでも、犬のことを想って行動した岡崎愛子さん。
家族からすれば複雑な心境でしょうが、素晴らしい決断力だなと思ってしまいますね。
本格的にアーチェリーの世界へ
2016年、岡崎愛子さんに転機が訪れます。
アーチェリーののアシスタントを務めてくれる人が現れたのです!
岡崎愛子さんは、このアシスタントの方のおかげで、アーチェリーを本格的に練習できるようになりました。
アシスタントの方に関する詳細は、以下の記事でまとめています。
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そして、練習の頻度が上がった結果、岡崎愛子さんは以下の成績を残しています。
- 2018年4月:パラアーチェリーの国内大会に初出場
- 2019年6月:世界選手権『ミックス戦(W1)』で3位
この世界選手権の成績により、岡崎愛子さんは東京パラリンピック代表に内定したのです。
そして2019年11月には、アスリート雇用としてベリサーブに就職。
環境の整った場所でアーチェリーの練習ができるようになりました。
本格的に練習するようになってから、わずか3年で世界選手権で3位。
元々体を動かしていたからといっても、ここまで一気に成果を上げれたのは、岡崎愛子さんの努力と才能によるものといっても過言ではない気がします!
岡崎愛子さんの経歴・学歴まとめ
今回は、パラアーチェリー・W1(車いす)女子の岡崎愛子選手について紹介しました。
以下、今回の簡単なまとめになります。
- JR福知山線脱線事故により、頸髄(けいずい)を損傷してしまった過去を持っている。
- 出身高校は『同志社女子高校』。
- 出身大学は『同志社大学 商学部』。
- ソニーへ入社した経歴を持っている。
- 本格的な練習を開始してから、わずか3年で世界選手権で3位を獲得している。
パラアーチェリー選手として活躍している岡崎愛子さんですが、ソニーに入社していたなど、すごい方だったことが分かりましたね!
ちなみに、そんな岡崎愛子さんの結婚情報などを調べた所、気になる方がいることが分かりました!
詳細については、以下の記事でまとめています。
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