パラアーチェリー女子・リカーブの選手、重定知佳さんについてご紹介していきます。
今回は、
- 重定知佳さんのこれまでの生い立ち・経歴や学歴
- なぜ障害を抱えることになってしまったのか
などについてまとめてみました。
重定知佳選手のwiki風プロフィール
名前 | 重定知佳(しげさだ ちか) |
身長 | 157cm |
体重 | 50kg |
生年月日 | 1982年11月22日 |
年齢 | 38歳(2021年7月時点) |
出身地 | 福岡県北九州市八幡西区 |
所属 | 林テレンプ |
重定知佳選手の病気について
重定知佳選手が患っている病気は、『HTLV-1関連脊髄症(HAM)』というもの。
HTLV-1関連脊髄症とは?
両足が麻痺し、動かなくなっていくという症状が出る。
この病気は、脊髄の炎症が原因と考えられており、以下の症状も出るといいます。
- 『感覚障害』:しびれ感や痛み
- 『自律神経障害』:排尿障害
重定知佳選手の出身中学・高校について
出身中学・高校について紹介していきます。
重定知佳選手の出身中学について
結論からいうと、詳しい情報はありませんでした。
ただ、重定知佳選手の出身地が分かっています。
なので、出身地から中学を考察してみました。
出身中学がどこか考察
重定知佳選手の出身地は、福岡県北九州市八幡西区です。
なので、八幡西区にある中学校を探してみました。
すると、合計15校の中学校があることが判明しました。
- 『浅川中学校』、『穴生中学校』、『犬丸中学校』
- 『沖田中学校』、『折尾中学校』、『香月中学校』
- 『熊西中学校』、『黒崎中学校』、『上津役中学校』
- 『立木屋瀬中学校』、『千代中学校』、『則松中学校』
- 『引野中学校』、『本城中学校』、『八児中学校』
このことから、出身中学は上記に挙げた15校のどれかだと思われます。
重定知佳選手の出身高校について
出身高校は『福岡県立 折尾高校』です。
偏差値は2021年時で50でした。
折尾高校に進学した理由は、パソコン関係を学ぶため。
なぜパソコン関係なのか?というと、きっかけは中学時代。
中学生の重定知佳選手にご両親がパソコンをプレゼントしてくれたんだとか。
そして、それをきっかけにパソコン関係で多くの資格を取得するため、勉強に励んでいたといいます。

ちなみに、折尾高校出身には、アーチェリーオリンピック代表として活躍した北畠紗代子さんがおりました。
オリンピック、パラリンピックという違いはあれど、同じアーチェリー選手が高校出身者にいたのは驚きです!
他にも、
- プロサッカー選手・梶原夕希也さん
- 元プロ野球選手・工藤博義さん
などの著名人もおりましたので、スポーツ関係に強い高校なのかもしれません。
重定知佳選手の生い立ち・経歴
重定知佳選手のこれまでの経歴について紹介していきます。
幼少期
スポーツ選手というと、幼少期からスポーツをやっている方が多い印象。
しかし、重定知佳選手の場合は、スポーツを全くやっていなかったんだとか。
理由としては、人見知りで人付き合いが苦手だったため。
幼少期の話なので、仕方ないとは思いますね。
中学生の時に難病が発覚
中学2年の時、体力測定で足に違和感を感じます。
大学病院で受診してみると、『HTLV-1関連脊髄症』という難病を患っていることが判明。
中学2年の時点では、足をひきずって歩くような状態だったといいます。
しかし、時が経つにつれて症状が悪化。
高校生3年頃になると、自転車に乗れないほどになったのです。
難病がきっかけでいじめが発生
難病によって辛い状況に陥った重定知佳選手。
しかし、それに追い打ちをかけるように、いじめが発生したといいます。
中学2年時に、両足がまひする進行性の難病「HTLV―1関連脊髄症」を発症。当然他人にうつることはないが「急に無視されるようになった」と振り返る。
出典元:exciteニュース
このいじめが原因で不登校になった時期もあったとのこと。
しかし、周りの友人が理解を示してくれたこともあり、中学3年の修学旅行は楽しい思い出を作れたようです。
就職後に車いすテニスと出会う
高校卒業後は、八幡西区黒崎にある企業に就職。
2002年、重定知佳選手が20歳の時、会社にいた障がい者の方から
と誘われたんだとか。
まだ自力で歩ける状態だった重定選手は、車いすに乗った経験はなし。
そのため最初は慣れず、戸惑っていたといいます。
しかし、負けず嫌いな性格から頑張っていくと、試合でも勝てるようになったんだとか!
そこから、重定選手は車いすテニスに夢中になっていったのです。
車いすテニスを引退
重定知佳選手は、車いすテニスを20~31歳までの11年間プレー。
そして、日本ランキング6位になるほど上達していました。
しかし、重定知佳選手は2013年に車いすテニスを引退してしまいます。
なぜ引退してしまったのかというと、新人選手に追い抜かれたことで自信を喪失したからと仰っていました。
重定知佳選手は、当時のことをこう振り返っています。
「上地結衣ちゃんが小学生の頃から知っているんですけど、伸びてくるのが早くて高校生の頃とかに、あっという間に抜かれちゃって。もう私の時代終わったなって思って、目的が結局無くなっちゃったのでパラに行きたいという気持ちも無くなっちゃったので、ただなんかダラダラしてるのもあれなので一旦辞めようと思って」
引用元:BS日テレ
当時勤めていた会社の理解が得られず、海外遠征に行ける見込みはなかったし、新人の選手にもすぐに負けてしまうようになると、あんなに好きだったテニスが楽しくなくなってしまいました。こんな状態で試合に出るのは対戦相手にも失礼だと思い、11年間続けた車いすテニスをきっぱりやめました。
出典元:パラサポWEB

パラアーチェリーと出会う
車いすテニスを引退した2年後の2015年。
「やっぱりスポーツがしたい!」
という思いから、重定知佳選手は一人で取り組めるスポーツを探します。
そこで『パラアーチェリー』の存在を知ったといいます。
それからはパラアーチェリー団体へ連絡を取り、アーチェリーを体験。
すると、一回の体験でアーチェリーの楽しさに魅了され、本格的にパラアーチェリーを始めたのです。
運命の出会いで本格的にパラリンピックを目指す
車いすテニスの経験から、パラリンピックを目指す難しさを知っていた重定知佳選手。
そのため、アーチェリーは趣味感覚でプレー。
1年間だけ頑張って、ぱっと辞めようと思っていたんだとか。
しかし、そんな思いが変わる転機が訪れます。
アーチェリーを始めた1年後の2016年10月。
『全国障がい者スポーツ大会』に出場した重定知佳選手は、リオパラリンピックで7位に入賞した上山友裕選手と出会ったのです!
上山友裕選手は重定知佳選手にとって、スター的存在。
そんな憧れの選手・上山友裕選手は重定知佳選手に対し、
- 「原石だ」
- 「日本代表を目指しましょう」
と絶賛!
この憧れの選手からの激励を頂いたことで、重定知佳選手はアーチェリーを続けようと思ったんだとか!
また、日本身体障害者アーチェリー連盟の方たちからも、
と言われたこともあり、本格的にアーチェリーでパラリンピックを目指すことを決意したんです。
ちなみに、全国障害者スポーツ大会の結果は…30mの部で優勝という成果を残していました!

会社を退職し、転職
本格的にパラリンピックを目指す決意をした重定知佳選手。
しかし、
「このままでは練習時間が足りない」
と感じ、2018年に約16年間勤めていた会社を退職しました。
その後、アスリート雇用をしてくれる自動車部品会社『林テレンプ』に転職。
全面的な支援のもと、ほとんどの時間を練習に充てることができたといいます。
転職でアーチェリーの成績がさらに伸びる
環境が変わったことで練習時間が増加。
その結果、重定知佳選手の成績は凄まじいことになっていました!
以下が重定知佳選手の成績の一部です。
年度 | 大会名 | 成績結果 |
2019 | 第48回全国障害者アーチェリー選手権大会 | リカーブ女子 1位 |
2019 | 第5回JPAF杯パラアーチェリートーナメント大会 | リカーブ女子 1位 |
2019 | 第3回パラアーチェリーアジア選手権大会 | リカーブ女子 1位 |
このように出場する大会のほとんどで上位の成績に収めていました。
そして、その上達したアーチェリーの腕が評価され、東京パラリンピック代表に内定したのです。
重定知佳選手の生い立ち・学歴まとめ
今回は、重定知佳選手の生い立ち・経歴や学歴について紹介しました。
以下、今回の簡単なまとめになります。
- 重定知佳選手の病気は『HTLV-1関連脊髄症』といい、両足が麻痺する症状が出る。
- 出身中学は八幡西区にある15校のどれか。
- 出身高校は『福岡県立 折尾高校』。
- 当初は、車いすテニスを11年間プレーしていた。
- アーチェリーの上山友裕選手との出会いから、パラリンピックを目指すようになる。